半人前日記

毒親育ち同士で家庭構築チャレンジやります

毒親育ちvs母親という誤認から生まれた「ママ閉店」炎上の構図

毒親育ち当事者且つ母親(予定)当事者として黙っていられなかったので、ザックリと私の理解と主張をまとめます。

ツイートのみでは見えないことや、全ての関連ツイートを追えているわけではないことなどがあるため、あくまで私個人の体感として読んでください。

 

全体の流れ

①母性神話へのカウンターとしての元ツイート

毒親育ち(以降「AC」とする)が問題視

③②を「また母性神話だ」と誤認して元ツイート賛同者(以降「母親側」とする)がACを迎撃

④③を「また毒親(予備軍)だ」「また世間の無理解だ」とAC側が反撃

⑤徹底抗戦になり泥沼化、AC側が圧倒的不利に←今ココ

 

何故誤反応③が起きたのか

理由1:ACと非ACでは見えている世界が違う

非ACにとっては親が毒でないのは当然なので、ACが「毒はやめろ」と言うと、「現時点で既に毒ではないのに、それを更に改めろということは、母性神話を実行しろということか!?」となってしまう。

これは男性に「女性差別はやめろ」と言うと、「つまり女性を優遇しろということか!?」という反応があるのと同じ原理だと思われます。

ジェンダー問題に関心の無い多くのマジョリティ男性からは、人間である自分が人間扱いされる世界しか見えていないので、女性も当然自分と同じように人間扱いされているものと思っている。だから、その状態で「差別やめろ」と言われると、現状以上の扱い=人間以上の扱いをしろと言われたと誤認してしまう。

またジェンダー問題と少し違って更に良くないのが、AC側はAC側で、毒でない親の実際姿を知らないので、非ACの言う「毒ではないが母性神話を実行もしない親」という概念を捉えられず、「親であろうとしない=子を軽んじる=毒」と一直線に繋がってしまうことです。

見えている世界が全く違うので、互いに思考に限界があり、その限界の方向性が全く異なります。それを双方共に前提として共有出来ていないので、互いに「相手が先に殴ってきた」と感じて負の応酬が続いてしまっています。

 

理由2:AC側の主張が、母親側が今まで散々戦ってきた母性神話の姿に酷似していた

近年、特にツイッター上では、ジェンダー規範や母性神話からの女性及び母親(勿論男性や父親も)の解放への機運が高まっています。

そのため、母性神話という宿敵と偶然外観が酷似していた今回のAC側の主張を、常日頃戦ってきた敵と誤認して「今度こそは殲滅しなくては」と全力で迎撃してしまったのでしょう。

今までの女性解放運動がAC側と衝突しなかったのに今回急にそれが起こった背景としては、偶々元ツイートの観測者層には母性神話信者が少なかった(もしくはいなかった)などの理由があって、想定していた敵である母性神話信者からの攻撃に先んじてAC側からの批判が目立ってしまったことがあるのではないかと推測しています。

本来、女性解放運動とACへの理解は、双方共に「家族」「家庭」といった固定観念からの脱却という点において根を同じくするはずなので、今回の衝突はマイノリティ同士の連帯が阻害されてしまう、非常に痛い事故だったと思っています。

 

「母性神話と同じ内容のことを主張してるんだから、ACだろうと何だろうと叩かれて当然じゃないか」と思う人もいるでしょう。

しかし、既得権益を享受する抑圧者への攻撃は、被抑圧者を助けることに繋がるのですが、今回の件でACを攻撃することは、誰も得をしません。

私も含めACは、マジョリティである非ACとは異なる育ち方をしているため、常日頃世間からの疎外感を著しく感じています。

だから、世間そのものを自分に危害を加える敵として認識してしまいやすい。

そうして追い詰められた結果何が起こるのかというと、所謂「無敵の人」の誕生です。自分に危害を加える敵=世間への反撃として、無差別殺人などといった事件が引き起こされかねない。

だから、ACを世間から隔絶しないことは、AC本人を楽にする、自殺を防ぐというだけでなく、社会全体のリスクを低減することにも繋がるはずです。

世間から隔絶しないことがリスク低減に繋がるのは、それこそ虐待でも、再犯でも、自殺でも、何にでも言えることだとは思いますが。そもそも、虐待の加害者も、犯罪者も、自殺者も、ACがそうなるリスクは非ACよりも大きいはず。と言ったら誤解を招きそうだけど、少なくとも私自身は、非ACの一般的な水準よりも虐待加害者や犯罪者、自殺者に近い位置にいると感じています。

まぁ、こんな脅すような言い方をしなくても単純に、今まで非ACが経験し得ない本当に辛い思いをしてきたのだから、少しくらい世間に希望を持たせてほしい、と思ってる。

 

批判的な毒親育ちにどう接すればいいのか

これは個人的な考えですが、暴言を含んだ批判を受けた本人が言い返すのは全く構わないと思う。本人が受けた痛みは本人にしか分からないので、周りが規定することじゃない。ACが毒親にやり返したって決して親不孝ではないのと同じ。子供を育ていて種々の圧力に晒されている中で突然暴言を吐かれたら、暴言を吐いた側の意図はどうであれ脅威であることには変わらないだろうから。

ただ、今回、暴言を直接吐かれた本人でもない第三者がACを過剰に悪し様に言うツイートが多く目についたのが、個人的にはすごく辛かったです。

現時点で、女性に対する圧力の方がACへの無理解よりも改善が進んでいるため、一般に分かりやすい前者の方が勢いづいて、結果後者は無視された、という構図に見えました。

ACから出た「親であろうしないなんて」という批判に対しては、言っても理解し合えないにしても「それは違うんだ」と言えばいい。暴言を吐いているのを見たら、暴言についてのみ指摘すればいい。

そこでわざわざ「お前もお前が一番憎んでる毒親と同じだな、血は争えない」とか「自分の毒親と他所の親の区別もつかないのか」とか、毒親育ちであることを詰るようなことを言う必要は無い。既に追い詰められてそういう言動に出た人間を更に追い詰めてどうしたいのか。自殺に至れば満足か。

子育て中の母親を加害から守ることは政治的に正しいが、オーバーキルはいただけない。

母親側の味方をする人は多い。誰もが母親から生まれるし、人口の半分は母親という概念に当事者性を持つ女性だ。そして最近の女性解放の機運。

それに対して、ACはそもそも数が少ないし、既に満身創痍の状態で辛うじて生きていて、殴られたら痛む箇所が非ACより圧倒的に多い。非ACであれば黙ってブロックして忘れることが出来る程度の攻撃も、致命傷になりかねない。

性神話は徹底的に叩いて撲滅すべきだが、今回の相手はいつも戦っている母性神話ではないのだ。それを認識してほしい。

女性解放の味方が、女性という当事者以外にも沢山いるのは本当に心強い。でも、その当事者たる女性の中にも、母親を志す者の中にも、毒親育ちが含まれていることを分かっておいてほしかった。

そんなところです。